最近は、年貢免定と年貢皆済目録の古文書を読んでいます。いつの時代も、庶民は納税から逃れられないようですね。
年貢免定とは?
年貢とはつまり税金のことですが、江戸時代は米で納税していました。領主(幕府や大名)は支配する村の田畑の面積をはかり、上・中・下などの等級を決め、生産量を予測します(米の生産量のことを石高といいます)。
秋の収穫期になると、その年の年貢量や年貢率が決定され、村に通達されます。
これが『年貢免定』と呼ばれる文書です。年貢免定にはもちろん納期も示されます。
年貢の割り当てはまず、領主から村単位で決められます。割り当て量が通知された村では、村役人がそれぞれの各農民へさらに割り当てます。村中の農民が立ち会って配分量を決めますが、その額はそれぞれの農民の生産力によって変わりました。
土地の生産量が高ければ収穫量が多いので、年貢が高率になってもさほど大きな負担にはなりませんが、そもそも良い土地を持っていない村では厳しかったようです。
土地の生産量が高ければ収穫量が多いので、年貢が高率になってもさほど大きな負担にはなりませんが、そもそも良い土地を持っていない村では厳しかったようです。
年貢皆済目録とは?
『年貢皆済目録』は、『年貢免定』で決定した年貢が完納されたときに発行する文書のことです。実際にどれだけ納入されたのか、この書類を見ればわかるわけですね。年貢免定と併せて読むと、予定とはけっこう違っていたりして、なぜそうなったのかを考察してみるのもおもしろそうです。
基本的に年貢は米で納入することになっていましたが、私が読んだ皆済目録では、貢租の半分が貨幣でおさめられていました。
また、幕府の直轄地(天領)では、伝馬宿入用、蔵前入用、六尺給米などの付加税の納入も強いられました。
伝馬宿入用とは宿場の維持運営費のこと。蔵前入用は、全国から集まった年貢米を保管する蔵の維持費です。この蔵は浅草にありました。六尺給米は、江戸城内の掃除や賄いで働く者たちの米です。これを高掛物三役と呼び、銀で納入されることも多かったようです。
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実は私、年貢は苦手。というか、実生活でも税金に疎く、確定申告ですら四苦八苦しています。
でも、古文書が相手だと、年貢の話もさほど苦ではないから不思議です。解読のほうに意識が向くからなのか、意外と楽しめました。
【参考図書】
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