バタバタしていたらいつの間にか2月に突入していました。今年初めての記事で宣言したように、毎月1回、江戸時代の年中行事について学習していこうと思っています。

江戸時代の2月はどういった行事があったのでしょうか。今との違いは? さっそくいってみましょう。

初午(はつうま)

江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と歌にも詠まれたように、江戸時代には町のあちこちに稲荷神社がたくさんあり、商売の成功や日々の安全を祈願していました(現代に続く江戸時代の信仰の形も参照)

そして、2月の最初の午の日のことを初午と呼び、稲荷神社で盛大なお祭りがありました。神社には赤い幟が立ち、太鼓の音が鳴り響きます。社にはお神酒、守り神であるキツネの大好物の油揚げ、赤飯などがお供えされました。

厄払いは午の日にやるのが良いとされていたうえ、江戸っ子は初物が大好き。この日の稲荷神社はどこも初午祭で大賑わいだったそうです。火事を知らせる半鐘の音が聞こないほどで、大火事になってしまったこともあったそうです。

初午の日は旧暦で数えるのため毎年変わりますが、今年は本日2月2日! 稲荷神社を訪れた方も多かったのではないでしょうか。

初午は子どもたちが寺子屋に入門する日でもありました。この日を寺入りとか初登山などと呼んでいたそうです。

江戸時代、庶民の教育はどうなっていた?の記事でも学びましたが、江戸の子どもたちは7歳前後になると寺子屋の師匠のもとで、読み書きを中心に様々な習い事を始めました。

寺入りの日、正装した親が子どもを連れて入門のあいさつに出かけます。小学校の入学式みたいで、想像すると微笑ましいですね。でも現代とは大きく違う点がひとつあります。子どもはランドセルの代わりに、寺子屋で使う自分の机を背負って出かけたのです!


↓江戸時代の日本橋の様子を描いた絵巻物『熈代勝覧(きだいしょうらん)』(作者不明)の動画。0:24あたりで道の真ん中に注目すると、机を担いだ父親に手を引かれる子どもの姿が見えてくる。これは、子どもを寺子屋へ入門させようとする親子のうしろ姿(動画の下の赤丸のところ)


机を持つ親と子

節分・鬼を追い出す? 迎え入れる?

鬼のお面をかぶったお父さんに、「鬼は外! 福は内!」と叫びながら豆をぶつけるのが節分。節分とは、季節の始まりの前日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを指します。中国や日本では古来から、季節の節目には邪気が生まれるといわれていました。その邪気を追い払うために豆をまいたのです。

今年の節分は2月3日。旧暦を採用していた江戸時代では年によって節分の日が違っていたので、豆まきのあとにお正月を迎える年もありました。

うちでは節分の日に両親が仕事で家にいなかったので、祖母に思いっきり豆をぶつけていました。ひどい孫ですね・・・。いえいえ、祖母にじゃなくて、鬼に豆をぶつけたんですよ!
今では豆をまくのは子どもたちですが、江戸時代は一家の主と決まっていました。裃を着て縁側に立ち、庭に向かって豆をまく主の姿を、家族が見守るのです。

Hokusai Setsubun no Oni
Katsushika Hokusai (葛飾北斎, Japanese, †1849) [Public domain], via Wikimedia Commons
葛飾北斎『『節分の鬼』豆撒き』
↑一家の主が鬼として豆をまかれるようになったのはいつからなんでしょう。家庭でのお父さんの立場が弱くなってからだったりして・・・(笑)


豆をまくとき、「鬼は外、福は内」という言い方をしない地域や神社もあります。

鬼は災いを運ぶと同時に福も運んでくれるという考えを元に、「鬼は外」という呼びかけをタブーとしているのです。また、「福は内、鬼は内」と声をかけ、鬼を呼び入れる神社もあります。鬼を追い出すのではなく、やってきた鬼をもてなして機嫌よく帰ってもらうことで福を呼び込むのだそうです。

ちなみに、日本のレオナルド・ダヴィンチと称される平賀源内は、人形浄瑠璃の戯曲家でもありましたが、鬼は外、福は内を意味する「福内鬼外」というペンネームを使っていました。

豆をまきが終わると、自分の年齢にひとつ足した数の豆を食べて、無病息災を祈ります。でも、食べ出すと止まらなくなって、ついついたくさん食べてしまうんですよね。

針供養

日本では古来から「もの」を大切にする習慣があります。年月を経て使われてきたものには「付喪神(つくもがみ・九十九髪)」が宿って生き物のようになるといわれているからです。生き物であれば当然感情もあり、人に捨てられた道具には祟りがあるとも信じられてきました。

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scanned from ISBN 4-5829-2057-8. [Public domain], via Wikimedia Commons
室町時代の『百鬼夜行絵巻』(作者不詳)。色々な道具やモノに付喪神が付いている様子


毎年2月8日おこなわれる針供養は、古い針や折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して、針に宿った付喪神の魂を鎮める儀式です。

針を豆腐やこんにゃくに刺す理由は、これまで長いこと固いものを突き通してきた針さんに、柔らかい場所で安らかに休んでもらうためだと聞いたことがあります。

針供養は浅草の浅草寺を始め、各お寺や神社で今でもおこなわれていますが、江戸時代には針を豆腐に刺したまま隅田川に流すこともあったようです。まるで針供養の精霊流しです。

Harikuyou at Sensō-ji Awashima-do 2800822 org
hiro_y [CC BY 2.1 jp]
2004年(平成16年)2月頃、 豆腐に刺された針。浅草寺淡島堂の針供養

梅見、お彼岸

梅の開花が始まる2月は梅見月と呼ばれ、江戸の人々が春の訪れを感じる月でもありました。江戸時代は現代よりも梅を愛でる心にあふれ、庭木、盆栽、切り花などの観賞用の梅もたくさん作られました。

また、旧暦だった江戸時代では、今と違って春のお彼岸は2月の中旬ごろ。菩提寺に参詣し、お供えした団子、ぼたもち、精進寿司を近所へ配りました。

Ando Hiroshige - Plum Garden, Kameido - Google Art Project
English: Ando Hiroshige(1797/1858) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
歌川広重『江戸百景』より『亀戸梅屋敷』。臥龍梅と呼ばれる梅が有名で、2月になると梅屋敷は賑わった。この名前は日本酒の銘柄にもなっている

英語で説明する「針供養」

節分は知っていても、針供養を知らない外国人は多いと思います、日本人でも最近ではあまり耳にしませんよね。Wikipedia「Hari-Kuyo」からの引用です。

Hari-Kuyō (Japanese: 針供養) is the Japanese Buddhist and Shinto Festival of Broken Needles, celebrated on February 8 in the Kanto region, but on December 8 in the Kyoto and Kansai regions. It is celebrated by women in Japan as a memorial to all the sewing needles broken in their service during the past year, and as an opportunity to pray for improved skills. 

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Hari-Kuy%C5%8D

筆者訳
日本の針供養とは、折れた針を弔う仏教、神道の行事である。関東地方では毎年2月8日に、京都と関西地方では12月8日におこなわれる。参加者は主に女性で、この1年で裁縫中に折れた針を集め、供養すると同時に、裁縫が上達するように祈願する。


針供養とは、「もったいない」という言葉を持つ日本人ならではの発想なのかもしれません。


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参考図書
・「日本人なら知っておきたい 江戸の暮らしの春夏秋冬 」
・「CGで甦る 江戸庶民の暮らし」
・「節分」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86


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